戦慄かなのの本名は川崎佳奈乃!過去のJKビジネスの内容に戦慄!

まだ、あどけなさの残る顔だちの戦慄かなのさん。

そんなルックスとは裏腹に、彼女の人生は少年院出身という壮絶な過去があります。

いまや更生しアイドルとして活躍していますが、それまでの道すじはどんなものだったのでしょうか?

彼女の事を知れば知るほど、生きていくうえでの大切な事に気づかされます。

この記事を通して、戦慄かなのさんの人生に少し触れてみてください。

あなたの心に響いてくるものがあると思いますよ。

アイドル界の異端児・戦慄かなのの本名は川崎佳奈乃だと判明

  • 本名:非公開
  • 生年月日:1998年9月8日
  • 出身地:大阪府
  • 血液型:B型
  • 身長:154cm
  • スリーサイズ:B79/W60/H83
  • 著名な家族:妹・頓知気さきな(アイドル)

「戦慄(せんりつ)かなの」は芸名で、本名は非公開。

しかし、非公開ながら本名は特定されているようです。

戦慄さんは特定非営利活動法人「bae」を設立しています。

児童虐待を受けている子供の手助けをする活動を行う「bea」は、内閣府のホームページに記載されています。

このホームページに代表者氏名「川崎佳奈乃(戦慄かなの)」という表記があり、本名は川崎佳奈乃で間違いないと思われます。

大阪府生まれですが、両親の離婚を機に東京に移住しています。

戦慄かなのの生い立ちが超壮絶だったのでまとめてみた

2023年現在、まだ25歳の戦慄さん。

しかし、一般的な25歳の女性よりも濃厚な道を歩んできたようです。

父親が母親から暴力を受けており、離婚後その母親に引き取られる

戦慄かなのさんの父親は、母親から暴力をふるわれていました

幼い戦慄さんの記憶には、血まみれになり壊れた家具を治している父親の姿が刻まれています。

なんとも、のっけから辛すぎる話です…。

戦慄さんが小学校に入学した頃に両親は離婚。

優しかった父親は家を出て行き、母親と2歳年下の妹の3人家族となったのです。

暴力的な母親と姉妹だけの暮らし…さらに、雲行きが怪しくなってきましたね…。

母親からの虐待・育児放棄と複雑な家庭環境に育った

もともと戦慄さんの父親が家事をしていましたが、離婚後の母親はその親としての役割を放棄したようです。

母親が恋人のところへ行き子供たちだけにされたり、母親に暴力をふるわれることは頻繫にあったそうです。

嫌な予感がしましたが、やはり…。

母よりも女性の要素が強い母親は、子供に辛い想いをさせるものです。

子供時代の私の友人もそんな環境で、ある日私に「母親らしい事を言って欲しい…。」とポツリと言った事がありました。

母親の愛情をもっと感じたかったのでしょうね。

しかし、戦慄さんの母親は暴力後には謝ってきたり、スキンシップも多かったようです。

そのため、幼い戦慄さんは異常な状態とは気づきませんでした。

どんなにひどい母親でも、子供にとっては世界でただ一人の大切な母親。

母親を求めるものです。

ましてや、優しい瞬間もあれば、まさか自分が周りに助けを求めなければいけない環境にいる事なんて分かりませんよね。

この時点で第三者が介入して助ける事が出来たら、戦慄さんのこれから経験する苦しみはなかったで事でしょう。

育児放棄の中、戦慄さん姉妹は水道水で飢えをしのいだこともあったそう。

あってはならない事ですよね…。

幼すぎて、周りに助けるを求める事すら出来なかったのかと思うと胸が痛みます。

恵まれない環境→イジメ→自殺未遂と負の連鎖が続いていく

育児放棄から、生活する上での当たり前の事を教わる事が出来なかった戦慄さん。

歯磨き・入浴・着替えすら知らないままでいました。

汚れた服装やボサボサの髪は、イジメのターゲットとなってしまいました。

子供こそ、残酷な一面がありますからね…。

中学生活でもイジメは続き、中学2年生の時に彫刻刀で膝を刺されてしまいます。

戦慄さんはイジメの辛さに耐えかねて、3階の美術室の窓から飛び降りるという自殺未遂をおこしてしまいました。

幸い、骨折で済みましたが、その後は非行の道へと進んでしまいます。

戦慄かなのは傷害事件をきっかけにJKビジネス首謀など悪事がバレる

少年院出身のアイドルとして注目を浴びている戦慄さん。

なぜ、少年院に入ることになったのかに迫ってみましょう。

貧困から犯罪に手を染めるようになった

戦慄さんの母親は働いていたので、本当の貧困家庭と言うわけではなかったようです。

しかし、育児放棄をされていたので、必要な金銭は与えられず実質、貧困に陥っていました。

その貧困状態から、万引き・窃盗・詐欺などに手を染めるようになってしまいます。

10代前半で窃盗集団コミュニティに加わり万引きをしたり、出会い系でAmazonギフトカード詐欺などの犯罪を犯します。

警察沙汰に何度もなった挙句、中学卒業後の春にはブラックビジネス(JKビジネス)絡みの大人たちと関わるようになってしまいました。

JKビジネスの首謀者になる「100円のパンツを8,000円で売る」

女子高生を商売に使うという違法行為のJKビジネス。

なんと1年で高校を中退した戦慄さんはTVで知ったJKビジネスを自ら立ち上げて仕切るまでに…。

月100万以上の収入になりました。

戦慄さんは、街で時給が発生しない客引きをしている女子高生をスカウト。

出会い系サイトで知り合った男性をリストアップし、女子高生らのパンツを売買する仲介役をするように。

100均で購入したパンツを女子高生に履かせ、待ち合わせ場所で男性と対面後、脱ぎたてのパンツを8,000円で売りました

戦慄さんは半分の4,000円を仲介料として受け取り、1日に10万円を稼ぎだすこともありました。

JKのパンツがここまで売れているという事実に驚愕ですが…(笑)

決して犯罪はいけませんが、自らJKビジネスを立ち上げてしまうとは、ものすごい行動力です!

このパワーをもっと良い方向に使えれば良かったのですが…。

負のスパイラルの中にいた彼女には、それに気づく事さえ難しかったのかもしれません。

友人の彼氏に襲われそうになり傷害事件を起こして収監

犯罪とは言え、JKビジネスで収入を得ていた戦慄さん。

良くない形でしたが、その時ばかりは彼女なりに安定した生活を送っていたのではないでしょうか?

しかし、そんな生活は続きませんでした。

傷害事件をおこし警察に逮捕されてしまいます…。

その時の様子は語っている動画もあります。

母親とは共依存の関係で、実家暮らしは続いていました。

ある日、門限の事で母親と揉め、家を出ることに。

不良仲間の家に泊まることになりますが、実際その家は友人の家ではなく、友人の彼氏の家だったそう。

ある日、戦慄さんの友人の彼氏に襲われそうになり、スミノフの瓶で殴って逃走したのです。

1週間ほど新宿をさまよい、その後実家に帰ることに。

そして、家に帰ったら…警察がいたわけです。

傷害事件をきっかけに、調べられた携帯電話に残っていた情報から、これまでの数々悪事があばかれました。

一旦、児童相談所の保護施設に入りましたが、その悪事から鑑別所に送られることになりましたが、それだけでは終わらず…。

16歳の冬に女子少年院へ…やはり、JKビジネスなど罪は重かったようですね。

子供帰り?なかなか更生 出来ず2年間の少年院生活を送ることに

鑑別所で廃人となっていたと語る戦慄さん。

少年院生活の方が勉強など出来る事があったので、鑑別所生活より充実していたそう。

しかし、反抗していたため最短で10ヶ月で出られるところを2年かけて出たとのことです。

更生よりもとにかく反抗!荒れまくっていた少年院生活

戦慄さんは、少年院で反発しまくり様々な問題を起こしていました。

教官の幼稚園生を相手にするような話し方もイライラしたそう。

  • 課題をビリビリに破いてトイレに流して詰まらせた
  • 監視カメラにサンダルを投げ中指を立てた
  • 反抗して暴れた際に注射(精神安定剤?)を打たれた
  • 教官に「クソばばあ」と言ったり、業務にケチをつけ授業を妨害した

まだまだ、あったそうです。

そんな、荒れまくっていた戦慄さんでしたが、ある教官との出会いから更生の道へと進むことになります。

“ただものじゃない”教官との出会いで心に変化が起きる

大人たちに保護される立場になったことで、子供返りしていたと戦慄さんは後に語っています。

子供返りからくる反発から荒れまくっていた戦慄さんの前に現れたのは、ある女性の法務教官。

戦慄さんは一向に更生する気配を見せなかったため、担任が何人も入れ替わっていました。

そんな中、「私が面倒を見ます」と名乗りを上げた人物がベテランの法務教官だったのです。

50代くらいですが、めちゃくちゃ色気があり綺麗な人だったそう。

しかし、とにかく威圧的で雰囲気が怖く、とても逆らえないという空気だったと。

いますよね~、こういう威圧感満載の人!

果たして、良い威圧なのか悪い威圧なのか…?

その威圧感から戦慄さんは意地になったそうです。

コップを投げつけて「向き合えるもんならやってみな」と悪態をついていました。

ん⁈この威圧は逆効果だったのか…⁈

しかし、どんなに反抗的な態度を見せても、一対一で向き合う先生の態度に、戦慄さんの気持ちに変化が起こるのでした。

個別面接中に言い争いになったり、反抗的な態度を取ると、すぐに非常ボタンを押して他の先生たちを呼ぶ教官が多かったそう。

しかし、その教官は絶対にひとりで戦慄さんと向き合ってくれたと。

暴言を吐こうがイスを蹴ろうが、ボタンを押す事はなかったのです。

一度だけコップを投げつけた時に、教官が座っていたイスを両手で持ち上げた事が…!

“やられる!”とビビった戦慄さん。

しかし、彼女はそのままイスを下ろして、座り直して普通に話を続けました。

『教師がそんなことしていいのかよ!』って思ったと同時に『この人ただものじゃないな』と感じたそう。

この教官との対話の中で、母への気持ち、自分の気持ちをゆっくり考えられるようになり、少年院での過ごし方も大きく変わっていく事になります。

しかし、そんな恩人のような教官に素直になれず、最後まで反抗的だったと。

退院後も感謝の言葉を伝えておらず、何度か手紙を書こうかと思ったそうですが、照れくさくて書けないまま。

アイドルとしてメディアに出ることで、「元気にやっていることが伝わったらいいな」と思っているとの事です。

きっと、今頃その教官は戦慄さんの活躍ぶりを見守っている事でしょう♪

少年院がきっかけで学ぶことの楽しさを知った

他にも、少年院生活はその後の戦慄さんの人生に影響を及ぼしました。

少年院での生活で、勉強の楽しさを知った戦慄さん。

自由がない少年院生活で勉強と読書だけが楽しみでした。

本は小説から心理学の本まで、置いてあるものなら何でも読んだそう。

1週間に3冊までしか借りられないところ、あまりに夢中だったので上限なく貸してもらえるように。

当時の心境について彼女は以下のように語っています。

スマホもないしテレビも自由に見られない中で、勉強と読書だけが楽しみでした。本は小説から心理学の本まで、置いてあるものなら何でも読みました。

本当は1週間に3冊までしか借りられないんですが、あまりに夢中だったので上限なく貸してもらえるように。1日3冊のペースで読んで、ノートに感想をつけて…少年院にいる2年で3000冊近く読んでいました。

印象深いのは、東大出身の加藤諦三さんが書いた『自分に気づく心理学』です。退院後にすぐ買って、今でも何度も読み返しています。

引用元:livedoor

少年院にいる2年間で3000冊近く読んでいたといのだから凄いですよね。

他にも、読書に合わせて様々な資格を取得。

  • 危険物取扱者
  • 高卒認定試験(大検)
  • 秘書検定
  • ワープロ検定
  • エクセル検定
  • そろばん検定一級
  • 漢検準一級

少年院生活をフルに活用できたようですね。

戦慄かなのはの退院後は大学生・アイドル・NPO法人代表と多忙な日々

2016年5月、いよいよ少年院を退院。

およそ2年ぶりに社会に復帰となりました。

いやいや、長かったですね~♪

しかし、長かった分、戦慄さんの成長ぶりは目を見張るものがあります。

有名大学の法学部に合格!噂によると早稲田大学かも…

薬局の事務員などをしながら個人塾で勉強を続けた戦慄さん。

2018年、有名私立大学の法学部に一般入試で合格!

大学名は公表されていませんが、早稲田大学という噂も…。

しかし、確証はなく、あくまでも噂どまりとなっています。

少年院で芽生えた夢の1つが、法律の勉強をすることだったそう。

法務教官だった恩師の影響虐待経験のある子供たちを支援するためにも、法律の知識が必要と思ったそうです。

しっかりとした志の持ち主ですね。

“地下アイドル”から“セルフプロデュース・アイドル”へ

児童相談所の保護施設で出会った女の子がいました。

少年院退院後に、地下アイドルをしていた彼女と偶然繋がります。

戦慄さんも誘われステージに立ち始めることに。

  • 2017年2月:スカウトをきっかけにアイドルグループ「のーぷらん。」に所属
  • 2017年5月:グループの将来性に対する疑問と大学受験を目指すことから脱退

  • 2018年:講談社主催のオーディション「ミスiD2018」で最終審査で少年院出身であることをカミングアウトし「サバイバル賞」を受賞

  • 2018年9月:シンガーソングライター・大森靖子が結成した「ZOC」に所属。

  • 2018年10月:妹でミスiD2019の頓知気さきなさんとセルフプロデュースアイドル・femme fatale(ファムファタール)の活動を開始

  • 2020年7月8日:ZOCからの卒業を発表(ZOCもこの直後に活動休止を発表)

現在は異色の経歴が大人気で、メディアで活躍中です♪

子供たちをサポートするNPO法人「bae」を設立する

戦慄さんが「いちばんやりたい」こと…それは、児童支援活動。

そして、2018年に育児放棄や児童虐待された子供たちをサポートするNPO法人「bae(ベイ)」を立ち上げます。

さすがの行動力です!

昔の自分と同じ思いをしている子供たちの力になりたいとのこと。

虐待されている子は自分から助けを求めることが難しく、周りの大人が気づいて手を差し伸べることが大切と言います。

育児放棄・児童虐待の情報発信や講演など、そして、ゆくゆくは子ども食堂など、子どもを支援していく活動をしていきたいと…。

また、少年院に入っていた子たちのサポートもしていきたいそう。

退院後に社会になじめず、表社会からドロップアウトすることが多いため支援をしていきたいとのこと。

最近ではyoutubeチャンネルも設立して自分のやりたいことに向かって努力をしています。

まだまだ、戦慄さんの人生は彩り豊かになりそうですね♪

戦慄かなのは少年院に収監されるも諦めずにやりたいことを実現中

壮絶な人生を歩んできた戦慄あやのさん。

波乱万丈ですが、その持ち前の賢さ・行動力で今では夢に見てきた事を次々と実現しています。

戦慄さんのこれまでの人生について、まとめてみますね。

  • 戦慄かなのは育児放棄・虐待など厳しい家庭環境だった
  • お金欲しさから、様々な犯罪に手を染めた
  • 少年院生活は2年にも及んだ
  • ベテラン教官との出会いで生き方が変わった
  • 大学生・アイドル・NPO法人の代表者の顔を持つ

子供の頃からの辛い経験から、犯罪にまで手を染めてしまった戦慄さん。

決していけない事ですが、親に頼れず生きていくための必死さからだと思うと複雑な気持ちになります。

強気にも見えますが、たくさん傷つきながら歩んできたことでしょう。

辛い生い立ちからか、小学4年の時から今もずっと自律神経失調症とパニック障害を患っているそうです。

母親の愛情はもちろん、周囲の大人達の温かい関心、仲の良い友達…。

成長の過程で、なくてはならない大切なものです。

現在も親からの虐待や貧困、そしてイジメに苦しんでいる子供達はたくさんいます。

「子供を支援していきたい」と動き出している戦慄さんの信念は揺らぎないものでしょう。

戦慄さんは辛い境遇だった分、誰よりも子供たちの気持ちが分かり、大きな助けになれるのではないでしょうか?

子供だけでなく人にとって、愛情は必要なものですよね。

そして、その愛情を正しい形で表現するのも大切です。

愛情の大切さを知っている戦慄さんの更なる飛躍が楽しみですね♪

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